釣り上げた大きな鯛を抱いてニッコリと笑った恵比寿像をご神体とする蛭子山は、旧胴幕に転用された水引幕の銘文から、寛延四年(1751年)ごろに建造されたと考えられています。
現在、伝承されている縣装品は、下水引が明和六年(1769年)、前掛幕・胴幕等は天保二年(1832年)に新調されました。
蛭子山の自慢は西陣大型綴の見送幕です。三人のオランダ人を描いたこの綴織りは、鎖国の時代にあって、外国の風景を題材にした風流の趣の最高潮に達した姿です。
このように、亀岡祭山鉾では、当時の織物のなかでも制作費の一番高い大型綴錦を11枚も揃えており、祇園祭を除く、他地方の追随を許さない町衆の心意気を表しています。