百済国から渡来した漢の高祖の子孫と伝える「王仁」をご神体としています。この王仁は、『論語』10巻、『千字文』1巻を伝来した人物です。
難波山鉾は、欄縁の箱銘から、安永6年(1777年)頃に舁山として建造されたとされます。また、『引山記』によると、寛政11年(1799年)に曳山として現在の鉾の姿に改装されました。
この改装に際しては、町衆が10年間祝儀、不祝儀、諸普請を問わず、質素倹約に努めることを申し合わせ、経費を捻出したとあります。文末に、「町中が、えいやえいやと、引山に、なおすも神のちからなりけり」とあるように、町衆の結束の強さを伝えています。