謡曲「高砂」の「尉」と「姥」をご神体としている高砂山は、人形道具箱の銘によると、宝暦5年(1755年)頃に舁き山として建造され、文政8年(1825年)に現在の曳き山に改修されました。
見送り、水引、前掛幕は、この時に新調されました。見送り幕は、西陣で製作された大型の綴錦で、当時最も高価な織物であり、往時の町衆の祭りにかける熱意の程を今に伝えています。
また、蝶や蝙蝠等をあしらった幾何学模様の絨毯地の胴幕は、敦煌等の仏教遺跡で知られる中国甘粛省で織られた毛織物であり、異国の風を感じさせます。